複雑心臓再手術における術中急性溶血の診断と管理
臨床的課題と戦略的アプローチ
1.0 序論:複雑心臓再手術における危機的合併症
複雑な心臓再手術は、初回手術と比較して癒着や組織の脆弱化といった解剖学的困難さを伴い、術中・術後の合併症リスクが著しく増大します。これらのリスクの中でも、術中に発生する急性溶血は、単なる貧血の進行に留まらず、急性腎不全という致死的な合併症を誘発し得る、極めて重大かつ緊急性の高い事態です。
本報告は、複雑心臓再手術中に発生した急性溶血の診断と管理について、具体的な症例に基づき、その病態生理から戦略的な治療アプローチまでを網羅的に解説し、周術期管理に携わる医療専門家へ専門的知見を提供することを目的とします。
【症例の概要】
「64歳女性、僧帽弁置換術(MVR)および心房中隔欠損(ASD)再閉鎖術」の症例を取り上げます。患者は心臓の著しい拡大を背景に高リスクと想定され、術中、主要な心内処置が終了した時点で、尿の赤色化という形で顕著な溶血が確認されました。
2.0 急性溶血の病態生理:腎毒性のメカニズムとその臨床的意義
術中急性溶血がもたらす最大の脅威は、貧血そのものではなく、血中に放出された遊離ヘモグロビンが引き起こす急性腎不全(AKI)です。
赤血球の機械的破壊
- せん断応力(Shear Stress): 人工心肺(CPB)回路のポンプや心内吸引(サクション)による物理的な破壊。
- 高速ジェット流: 弁周囲逆流(PVL)のように、狭い隙間を血液が高速で通過する際の極めて強力な機械的破壊力。
ヘモグロビン血症と腎毒性
- 一酸化窒素(NO)の消費: Free HbがNOを捕捉し不活性化することで、腎血管が収縮し腎血流量が低下(虚血リスク増大)。
- 急性尿細管壊死(ATN): 尿細管内でFree Hbが細胞毒性の高い酸性ヘマチンを形成・結晶化させ、尿細管内腔を閉塞。これにより重篤な急性腎不全へと進展。
3.0 心臓再手術における特有のリスク評価と体外循環管理
胸骨再切開のリスク回避とPeripheral CPBの戦略
再手術では、心臓拡大に伴う胸骨裏面との強固な癒着(Heart-to-Sternum Adhesion)があり、再切開時の心臓損傷と致死的出血のリスクが高いです。
Peripheral CPB(末梢アプローチによる体外循環)は、胸骨切開前に体外循環を確立し、心臓を減圧することで、胸骨裏面からの安全な剥離操作を可能にする妥当な戦略です。
Peripheral CPBに伴う溶血リスク
- 脱血効率の課題: 中心静脈路に比べカニューレ径が限定され、吸引ポンプ回転数を上げる必要が生じ、せん断応力が増大しやすい。
- 送血部位の特性: 大腿動脈への逆行性送血は乱流を生じやすく、機械的ストレスを高める。
4.0 術中急性溶血の網羅的鑑別診断
溶血が「心内処置終了時」という遅いタイミングで顕在化した事実は、外科的操作そのものに関連する原因の存在を強く示唆します。
4.1. 外科的操作に起因する原因(最優先)
- 僧帽弁周囲逆流(PVL): 弁輪と人工弁の隙間から、高圧(左室-左房圧較差)の血液が高速ジェット流として逆流し、持続的かつ強大な機械的溶血を引き起こす可能性が最も高い。
- 弁機能障害: 人工弁のサイズ不適合や縫合糸の干渉。
- ASD再閉鎖部からの高圧シャント: 圧較差が小さいため、重篤な急性溶血の単独原因となる可能性は低い。
鑑別診断のための検査指標
| 検査項目 | 急性溶血時の一般的変化 | PVLを示唆する所見 | 輸血反応を示唆する所見 |
|---|---|---|---|
| 血漿遊離Hb | 著明な上昇 (> 50 mg/dL) | 持続的な高値 | 急速な高値、輸血直後に発症 |
| LDH | 高値/持続的高値 | 処置後から持続的な高値 | 急速に上昇 |
| ハプトグロビン | 著明な低下/検出限界以下 | 低値 | 低値 |
| 全身症状 | 安定または血圧変動 | 安定(出血がない場合) | 発熱、悪寒、血圧低下を伴うことが多い |
5.0 診断確定と即時的治療介入プロトコル
管理の成否は、原因の迅速な特定と、腎機能保護を目的とした集中的治療をいかに迅速かつ並行して実施できるかにかかっています。
診断アルゴリズムと外科的決断
- 原因の最優先特定: 経食道心エコー(TEE)による人工弁機能の即時評価が必須。PVLの有無を最優先で確認。
- 外科的決断: 有意なPVLが特定された場合、CPBから離脱する前に、直ちに心臓を再開放し、外科的修正(再縫合)を行うことが唯一の最善戦略。
集中的腎保護戦略(二大原則)
1. 十分な輸液と利尿確保
マンニトール、フロセミド投与により尿細管内のFree Hbを洗い流す。目標尿量: 2 mL/kg/h 以上
2. 尿アルカリ化
炭酸水素ナトリウム投与により、酸性ヘマチンの形成を抑制し尿細管細胞を保護。目標尿 pH: 7.0 以上
即時対応プロトコルの概要
| フェーズ | ステップ | アクション(目標値) | 緊急度 |
|---|---|---|---|
| 診断と特定 | 1. 溶血の確定と検査 | 尿色確認、血漿遊離Hb迅速測定 | 極高 |
| 2. 原因の特定(TEE) | 人工弁機能評価(PVLの有無) | 極高 | |
| 3. CPB設定点検 | 心内吸引圧の最小化、カニューレ位置確認 | 高 | |
| 原因除去 | 4. 外科的介入 | PVL確認時、直ちに弁修正/再縫合 | 極高 |
| 腎保護 | 5. 利尿確保 | 輸液、マンニトール、フロセミド(尿量 > 2 mL/kg/h) | 極高 |
| 6. 尿アルカリ化 | 炭酸水素ナトリウム持続点滴(尿 pH > 7.0) | 極高 |
6.0 結論と今後の診療への提言
本症例から得られる教訓
- 溶血の根本原因は、CPB管理ではなく、外科的操作によって生じた僧帽弁周囲逆流(PVL)であった可能性が極めて高い。
- 再手術では弁輪組織の脆弱性からPVLリスクが増大するため、CPB離脱前の術中TEEによる厳格な機能評価と即時的な外科的修正が決定的に重要である。
今後の診療への提言
- 術中TEEの厳格な適用: 人工弁置換術後の弁機能(PVLの有無と程度)評価を標準プロトコル化する。
- CPB脱血管理の最適化: Peripheral CPBにおいて、過度な吸引圧力を避け、溶血の早期発見に努める。
- 術中急性溶血管理プロトコルの確立: 診断、腎保護、外科的介入を網羅した院内標準プロトコルを整備し、チームで共有する。
「術野における卓越した外科技術は、プロトコルに基づいたチームによる揺るぎない警戒心と対等に両立しなければならない。」